②あきれるほどひどい。手に負えない。 「 - ・い子だね」
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例えば授乳のケアをしたいとき。
「授乳一緒にお手伝いしたいので呼んでもらえますか?」
と聞いたりする。
産後のママたちは、脳に血流が回っていないため、よくナースコールをし忘れる。
これは、”し忘れるのである”と、私は思っている。
医療者の中には、
「呼んでくれなかった」
と思う人がいる。
そして本人に
「なんで呼んでくれないの」
と言う人がいる。
話し方の問題じゃないのかなと思う。
ここで使うしょうがないは、
ママはぼーっとしちゃうよね、赤ちゃんが泣いてて、それだけで頭いっぱいになっちゃうよね、しょうがないよ。
間違った使い方は、
呼んでくれないんじゃ見れないよね。見れなくてもしょうがないよ。
、、、うーん。
確かに臨床は忙しい。
イレギュラーが当たり前だから、ナースコールがいつくるかなんてわからわないし、
ナースコール一つでもいろんな欲求がある。
そこに入院や緊急オペや点滴や、なんか頭がめまぐるしい。
でも、ママたちにとっては入院してる4日から8日くらいで病院を去らなきゃならないわけだ。
しかも、授乳一回見れないと、3時間くらい間が空くわけで、自分の勤務時間が7時間だとすると、もうあと1、2回しかチャンスがないわけだ。
医療者の様々な考えが、言葉としてでてくるんだと思う。
マザーテレサも
“思考に気をつけなさい。それはいつか行動になるから”と言っている。
ちょっと考えを変えて、
確かにあの人はナースコールあるけど、あの人はナースコールないな。
なんでだろ。
そう考えて話にいくことが必要なんじゃないか。
その切り口は、何で呼ばないの、ではなくて、どうですかー?どんな感じですかー?でもいいかもしれない。
当てはまる枠組みやカテゴリーなんてない。
十人十色である。
そしてそれは、人に教えられるもんじゃない。
例えば私が、この人はこうだからこう接してね。と教えられるものではない。
十人十色の感触がある。
話し方とか表情とか、ボディランゲージした時の感じとか、部屋に入った時の反応や空気とか、そんなのから家族背景、家族の話しをしているときの感じとか、そんなん全部と、赤ちゃんのそれら全部と、パパのそれら全部と、、、、
いつもそんなことを思っている。
私は、そんな看護がしたいなぁって思う。
もっと自由に。
病院の中ではなく、外で一緒にやってくれる人、いつでも連絡ください。
お待ちしております。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶